高根沢町議会 2021-03-12 03月12日-03号
死者・行方不明者2万2,000人に上り、住まいを失い、いまだ避難生活を続けている人は6万7,000人、特に福島第一原発事故による放射能汚染のため、双葉町など7市町村は帰還困難区域としていまだに全町避難を余儀なくされています。
死者・行方不明者2万2,000人に上り、住まいを失い、いまだ避難生活を続けている人は6万7,000人、特に福島第一原発事故による放射能汚染のため、双葉町など7市町村は帰還困難区域としていまだに全町避難を余儀なくされています。
次に、西日本豪雨では14府県の死者、行方不明者が283人に上った。民間の気象情報会社では、局地的豪雨は今年は全国で3,600回発生すると予測をされております。河川の決壊もありますが、西日本豪雨では32か所のため池が決壊をいたしております。広島県では最多の23か所の決壊を占めた。このように報道がなされております。
さらに、10月18から19日、また25から26にかけて台風崩れの低気圧や前線活動の活発化の影響で台風19号の被災地にも暴風、豪雨が襲い、その結果、死者、行方不明者約100名、床上浸水1万2,000戸、全半壊2万8,000戸、内閣府の発表ということで、一昨年、その一昨年の西日本豪雨を上回る大きな被害が出ました。
平成23年3月11日に起きた東日本大震災の津波による死者・行方不明者が1,000人を超す釜石市では、小・中学生2,921人が津波から逃れた。学校にいなかった5人が犠牲となったが、99.8%の生存率は釜石の奇跡と言われる。学校の管理下にあった児童・生徒にも限らず、下校していた子供の多くが自分で判断して高台に避難しました。 釜石小学校では、2008年から下校時の避難訓練に取り組んできました。
防災専門家によると、地震により建物の倒壊や火災、大津波による死者、行方不明者、また負傷者など合わせると数十万人にも及ぶとしている。また、経済的にも莫大な損失となると国民に警鐘を鳴らしています。 このような時期、野木町において第1回の全町避難訓練が実施され、多くの町民が参加されたことは、災害に対する町民の防災意識のあらわれだと強く認識しました。
特に6月28日以降の台風7号や梅雨前線の影響による西日本を中心とした平成30年7月豪雨や、秋の台風21号を初めとする台風被害による死者、行方不明者が多数発生しました。また、9月6日の早朝には、北海道胆振東部地震が発生し、道内全域が停電するブラックアウトに陥り、情報入手にも困難を来したことは記憶に新しいところであります。
さらに、昭和にさかのぼっても1982年に300人近い死者、行方不明者を出した長崎水害(昭和57年7月豪雨)以来、最悪の被害となったことは記憶に新しいところです。 梅雨前線や台風の位置関係で、いつでもどこにでも豪雨が発生するのが昨今の気象状況です。
今年の西日本豪雨で、本当に悲惨な災害であったわけでございますが、死者・行方不明者合わせて二百数十人というところでございますが、過去の熱中症での死亡者数等を見てみますと、1,000人を超える年もありましたし、ここ最近は数百人規模で推移をしております。それくらい熱中症は本当に命にかかわる大変なものであるというふうに認識をしております。
2014年9月27日には、安全と思われていた御嶽山が前ぶれなしに突然噴火し、死者行方不明者63名という大惨事が発生しています。 国連の「気候変動に関する政府間パネル」によると、地球温暖化に伴う気候変動の影響により、台風等の熱帯低気圧の強度が増大するとともに、大雨の頻度も増加する可能性が高く、洪水等による被害の拡大が予想されています。
さらに、民生委員の死者、行方不明者も多数に上がったそうです。とっさに逃げることができなかった人、そういった人たちを支援をしようとした人たちが多く犠牲になった教訓を踏まえまして、2013年の災害対策基本法改正において、高齢者、障害者、乳幼児等、いわゆる避難行動要支援者の名簿作成が市町村に義務づけられました。
1896年の明治三陸地震津波では死者が2万人以上に達し、その後1933年に再び昭和三陸地震津波が同じ地域を襲い、このときも死者、行方不明者がほぼ3,000人達しました。この2回の津波の間にはほぼ40年の開きがありますが、2度目の災害発生に当たり、地震後の津波の襲来に対する警戒心が人々の間に十分になく、このことが被害の増大を招いたことが知られています。
広島の土砂災害、御嶽山の噴火、そして長野県の地震と、日本列島、いつどこで起きるかわからない災害、死者、行方不明者と多くの犠牲者を出し、それぞれご家族があり、親戚があり、友達があり、お一人お一人ドラマがありました。一瞬にして人生が変わったことと思います。お亡くなりになられた方に対しご冥福をお祈りするとともに、一日も早い復興を望み、被害に遭った方々にお見舞いを申し上げたいと思います。
広島県北部で先月20日未明、局地的に降った猛烈な雨により、広島市安佐北地区、安佐南地区の30カ所以上で土砂崩れが発生し、多くの住宅が巻き込まれて、70人を超える死者、行方不明者を出す大惨事となりました。亡くなられた方、被害に遭われた皆様に心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。広島県は、1999年にも30人を超す犠牲者を出す豪雨被害に見舞われています。
◆16番(黒澤昭治君) 私の質問の全てを終わりますが、先月、広島県で発生しました局地的豪雨により、土砂崩壊で大勢の死者、行方不明者の方々に心よりお悔やみ、お見舞い申し上げます。このような災害防止のために市内の指定地区の見直しをお願いいたしまして終わりといたします。ありがとうございました。 △滝田一郎議員 ○議長(藤田紀夫君) 次に、一問一答方式を選択している3番、滝田一郎君の発言を許します。
1999年6月に死者・行方不明者32人を出した災害の教訓が生かされていなかったということになります。被害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々の一日も早い復旧復興をお祈りしたいと思います。 近年の地球温暖化は、CO2が200年間で25%増加しております。
その中で、消防団員の死者・行方不明者254名、うち公務中198名、消防団拠点施設、使用不能が420箇所、車両被害261台。ちなみに、消防職員の死者・行方不明は27名です。未曽有の災害の中で消防団員の殉職者は、避難誘導、出動途上、水門閉鎖等の活動中に被災。そして、年齢構成は、40歳代が最も多く、次に30歳代が多い、このような報告の内容になっています。
死者・行方不明者等多くの犠牲者を出し、震災と福島原発放射能漏れによって、避難生活者、転居者は約28万7,000人とのことです。お亡くなりになられた方、行方不明者の方、そして避難生活の方々、それぞれご家族があり、親戚があり、友達があり、お一人お一人ドラマがあったと思います。一瞬にして人生が変わったことと思います。
被災者の皆様におかれましても生活を余儀なくされている状況にあり、死者、行方不明者に衷心よりお見舞いを申し上げるところでございます。
1点目の公共施設、町民住宅等の耐震対策と進捗状況及び推進計画についてでございますが、死者、行方不明者合わせて約2万人という甚大な被害をもたらした東日本大震災からちょうど2年が過ぎようとしていますが、町内にはいまだ復旧に至っていないところもあり、震災が町や町民生活に与えた影響の大きさを改めて感じているところでございます。
死者、行方不明者2万人とも言われています多くのみたまに改めてご冥福をお祈りしますとともに、1日でも早い震災からの復興を願わずにはいられません。そのためには、私たちができることに対して、「努力は惜しまない」と改めて思いました。 改めまして、ただいま、第321回矢板市議会定例会におきまして、議長より発言の許可を得ましたので、通告に従いまして質問をさせていただきます。